【概要】
現在の音更町の下士幌にあった土功組合の戦前絵葉書です。土功組合は水田のための水を通す灌漑を造成するために結成された組合で、組合員(水田農家やその予定者)が資金を拠出しつつ、かつ国からの補助金や融資を受けて造成を目指しました。
北海道十勝では明治時代後半に土功組合が次第に誕生し、大正時代中盤以降にその活動が本格化します。第一次世界大戦中やその後の米騒動などで米価が高騰したことも後押しになりました。
下士幌土功組合は明治45年6月に結成。第1期工事は伊忽保(いこっぽ)川から取水していたところ水位が低下し、絵葉書に残る第2期工事が始まります。第2期は、より大きな音更川から取水を図り、下士幌からはるか30キロ上流、現在の士幌市街付近にある十勝頭首工から水を導きました。大正時代の洪水の苦難を経て、絵葉書にある通り大正12年8月2日に完成しました。
こののち、この時代に造成された水路は改良を重ねつつも地域に定着し、昭和40年代にこの地が減反政策により水田地が畑作地に転用されるまで、その役割を果たしました。基本的に水路はそのままで、現在も下士幌の畑作地帯には第1期工事のもの含め、いにしえの水路が今なお残されています。気になったら探検してみてね。
参考:『北海道土功組合史』(北海道庁管内土功組合連合会、昭和13年)
【内容】包紙1、絵葉書7枚
下士幌土功組合導水門暗渠並ニ護岸築堤/下士幌土功組合導水門/下士幌土功組合第一幹線掛桶/下士幌土功組合第二幹線大築堤/下士幌土功組合第二幹線第二号斜段/下士幌土功組合第三幹線第一号分水門/下士幌土功組合既成水田
【作成年代】大正12年8月2日
来る春を楽しみに待ったことでしょう。
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