【概要】
現在の北海道新得町屈足地区・人舞地区にまたがる灌漑溝が建築され、その完成を記念した絵葉書です。絵葉書自体には作成年が書かれていませんが、『北海道土功組合史』(北海道庁土功組合連合会、1938年)によると大正10(1921)年に竣工していますので、その頃に作成された絵葉書でしょう。
屈足、人舞は十勝でもかなり上流域の地域で、現在の市街地付近は平坦ですが、すぐ北側には大雪山系が迫りつつある土地です。取水は十勝川がぐっと山がちになるパンケニコロ川、ペンケニコロ川付近。絵葉書にも急峻な斜段で水を引いたことが記録されています。工事は難航を極めたようで、大正前期から計画されたものの洪水などで河川の形が変わり、工事を変更しながら完成まで漕ぎ着けたそうです。
十勝管内の他の地域と同じく昭和40年代の減反政策による畑作転用の時代に至るまで、難工事だった水路が活かされ、地域での稲作は続きました。
【内容】包紙1、絵葉書7枚
上川土功組合導水門/上川土功組合第一号調節槽/上川土功組合第一号斜段/上川土功組合分水門/上川土功組合第四号階段/上川土功組合第八号斜段/上川土功組合懸樋
【作成年代】大正10(1921)年以降
灌漑溝の竣工時期大正10年11月以降。
コメント