海の美 大洗の風景 絵葉書

旅館・温泉街
磯浜海岸築港海水浴

【概要】

海水浴で知られる大洗の戦前写真絵葉書です。そもそもこの土地には、古来から大洗磯前神社が所在し、特に漁民の信仰の対象になっていました。律令国家が編纂した六国史のひとつ『日本文徳天皇実録』に大洗磯前神社の発祥が語られており、近隣に神様が現れたことが創建の由緒になっています。また、周辺の漁民にとっては海上から陸地の地形を確認し、航路や漁場の目安とする場所としても信仰を集めていたようです。なおこうした場所を「ヤマアテ」と呼びます。

漁民の聖地だったこの場所は、明治時代以降には海水浴場として知られるようになりました。当初は海水浴は湯治などと同じ扱いで、健康のために塩水や波を浴びる目的でなされました。そのうちに、現在のレジャーとしての側面が出てきます。大洗には参拝者を受け入れる体制が既にあり、それに基礎づけられ海水浴客の受け入れ地として発展していきます。

絵葉書を見ると、しっかりと大洗磯前神社が紹介されそして海水浴客で賑わう海浜も記録されています。また立ち並ぶ旅館もあり、観光地として発展しつつある地域の様子がうかがえます。

この土地に「戦車が走るようになる」のはまだずっと後の話になりますが、漁民の信仰から始まった大洗への巡礼・訪問の歴史は、古代史から現在までしっかりとつながっているのだと感じます。

参考:卯田卓矢・松井圭介「大洗磯前神社における信仰と観光」(『人文地理学』36号、2016)、川添航・坂本優紀・喜馬佳也乃・佐藤壮太・渡辺隼矢・松井圭介「茨城県大洗町におけるツーリズム形態の変容に伴う観光空間の再編」(『地理空間』11-1、2018)

【内容】包紙1、絵葉書7

磯浜海岸築港海水浴/海水浴場/大洗海岸2枚/大洗海岸怒涛/白砂青松の大洗/常陽明治記念館/大洗神社 大洗神社大鳥居

【作成・撮影年代】昭和4(1929)年〜昭和8(1933)年

常陽明治記念館の開館が昭和4年以降、通信欄の罫線が宛名面の2分の1の位置にある点、右から「郵便はかき」の表記から下限が昭和8年と推定しています。

【作成】不明

コメント