城の崎風景

旅館・温泉街
一の湯

【概要】

兵庫県を代表する、そして日本を代表する温泉地城崎(城の崎)の絵葉書です。玄武洞、青竜洞など自然景観はもちろん、一の湯、まんだら湯、薬師堂など各施設も昭和初期からの雰囲気を今に伝えていることがわかります。

絵葉書には「震災納骨供養堂」が被写体に選ばれています。観光絵葉書に供養堂が被写体となるのは珍しいことではないでしょうか。大正14(1925)年に発生した北但馬地震で城崎温泉は文字通り壊滅状態になりました。供養堂は震災後1ヶ月後に兵庫県南部の資産家らにより発願。当時の新聞は、焼け跡に残る遺骨を集めて供養した様子が語られています。そして城崎温泉は地元やゆかりの人々によって復興を果たし、再び温泉街として歩みを進めます。紹介の絵葉書はそんな時期に作成されたのです。

絵葉書を作った人たちは、どこかの段階で地域のどこを絵葉書に収めるか打ち合わせをしたことと思います。その際に、誰かが供養堂を候補にし、これに賛同した人が多かったからこそ、この様に絵葉書が作られ、残されたのだと思います。何気ない一枚ですが地域の人々の想いがこもっているように思います。

供養堂は現存し、今も地域を見守っています。

参考:「城崎の歴史」(きのさき温泉観光協会公式サイト)、新谷勝行「1925年北但馬地震の供養塔・記念碑と関連行事について」(『歴史地震』第30号、2015)

【内容】7枚

一の湯/まんだら湯/薬師堂/震災納骨供養堂/東山公園より円山川を望む/玄武洞/青龍洞

【撮影・作成年代推定】大正14(1925)年~昭和8(1933)年

大正14年の北但馬地震以後、通信欄の罫線が宛名面の2分の1の位置にある点、右から「郵便はかき」の表記から昭和8年以前。

【作成者】SEIKYOKUDO

おそらく京都の山口青旭堂でしょう。

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