【概要】
北の歓楽街すすきの。漢字で「薄野」とも表記されていた時代に、有名な料亭「いく代」がありました。開業は明治29(1896)年。南3条西4丁目に店を構えたそうです。開拓地首都の随一の料亭として成長し、時の政治家や実業家など「紳士」たちをおもてなししたそうです。
絵葉書にはいく代の誇る大広間をはじめ大小の個室、お風呂や応接室などが記録され、様々な社交に対応していた様子がうかがえます。きっと、長い時間、たくさんの料理と芸妓とがおもてなしをしていたのでしょう。こうした供応のあり方は時代の中で姿形を変えました。そしてアフターコロナの今、さらに変化していくのでしょう。そんなことを考えると、なんだか寂しい気持ちになります。火事に備える消防隊の人々は写っていますが、広間のそれぞれには人が写っていません。何となく、ここで働いた人たちが写る絵葉書を集めてみたい気持ちになりました。
【内容】9枚
玄関/大広間/旭の間/化粧室 応接室/階上大廊下 玄関正面/庭園の一部 湯殿/蓬萊の間 霞の間/松の間 竹の間/いく代消防組
【撮影・作成年代推定】大正7(1918)年~昭和8(1933)年
通信欄の罫線が宛名面の2分の1の位置にある点、右から「郵便はかき」の表記から判断。
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